自然解説員とご一緒して、鬼ノ城が今に至るまでのお話をお聞きした。
と言ってもただ聞いて メモっただけなので もしかしたら間違っているかもしれない。
発掘調査が始まる前は普通の山で 山頂付近は個人の所有物 たばこ畑だったそうです
なんでも 昭和46年大きな山火事があって 山肌がむき出しになり 石垣などの建造物が現れ
そこから調査が始まったそうだ
この辺りの詳しいことは 図書館に行けば資料が残されているのかもしれません。
下の建物 柱の太さや位置は土台の石が残されているので 往時のまま間違いないが
建造物は想像のものでしかない
現在の柱は外国産のヒバの木が使用されていた。(かなり太い)
万里の頂上のように昔は土塁が約3キロ 囲むように築かれていた
要所要所に水門があった。
水の管理として 石畳が水平ではなく斜めになっている
外の石は落ちていても 内側の石は残っているところが多いのかな?
高さが6mくらい 幅が6~7m 6mと言うとビルの二階位??かなりの高さですね
敷き詰められた石 水はけをよくするため斜度が付いてがいる
さて 白村江の戦いを知っていいるかと聞かれた。
もちろん知るわけも無く 帰ってから調べた
その戦いが鬼ノ城できた理由かどうかは 推測でしかないが
7世紀後半の築城ではないかと言われている。
岡山と言えば桃太郎 お供はきじ 猿 犬
これに因んだ地名があると聞いた
犬墓山は某お殿様のお犬様のお墓がある山
今でもお墓はあるのかしら?
きじは 谷の名前
写真の手前の尾根と向うの尾根の間
きじヶ谷 (字は適当)
猿は何だったっけ
メモには「さるがけ」と書いているが思い出せない~
記憶を探りながら まとめてみましたが 正確ではないかも知れません
ここでウィキペディアを開いてみると 詳しく載っていました。
専門的な知識よりも 私たちに楽しく分かりやすく話してくださったと思います。
山歩きでピークばかリ狙うのもいいけれど
その土地ならではの歴史や地理、背景を知るのも楽しい。
ツツジの小道はどこじゃろう?
砥石城址登山口から ダンガメ山目指す。
なるぽど 両脇にはツツジの木がいっぱいだ。
明るい登山道なので気持ちが良く、砥石城址からの眺めが素晴らしい。
途中にある 笠松神社、 拝殿は壊れているが 本殿は堅牢な造りのようだ。
瓦に菊の御紋 鬼瓦もなかなか手が込んでいて迫力だ。
どんどん 登って行くと 登山道両脇にツツジの木、 花の咲く頃が楽しみ。
○
高取城址までは暗 長く感じた。
実際は里山なので さほどでもないと思うが。
ダンガメ山から南に下山 めがね池手前を登り返す
ここまでがちょっと分かりにくくて 登山道を探しながら歩く。
二人なら楽しいかもね
縦走路まで登り返すと その先は広い林道になっていて
拍子抜けだ。
結論 砥石城跡登山口から ダンガメ山往復が一番いいとこ取りだと思う
あと、大雄山も眺めが良い。
山桜も咲き始めていた。山桜もツツジも イノシシも半端無く多い山だった。
国道180号を通るたび 気になっていた豪渓秦橋先の大岩。
大野の山桜を紹介され ここを通ると言う事でチャンス!
車を止め 城山に登って行く。
ここは荒平山城跡。
きれいに整備された登山道を快適に登って行く。
途中 休憩舎があり展望も良い。
城山は標高191M。
総社方面 木が伐採されて見晴らしがよい。
時間があれば正木山から大野地区 鍵山へ縦走もいいだろうと思う。
岩畳神社の御神体 磐座(いわくら)
危険の看板がある
柵も何もないので、先には進まない
やっと正体解明し、大満足。
次回は正木山まで縦走しよう
富田松山城を後にし、時間があるので今度は二号線を東に進み
三石城址に決定。

橋本石油店駐車場脇から登ります。

この案内板の左側に 三石城址のパンフレットと登山届?有。
県外から訪れた方の記帳が目立った。
山城マニアかもしれない。
登山道は良く整備されているが、急登で息が切れる。
途中 下の展望台方向に登ったところ なんと岩場コースで、あまり使われていないのか、ルートファンディングを要した。ちょっとオーバーかなぁ 
ちょっとした冒険気分

よじ登ったりする岩場が続き、楽しいよ~?
要は、山頂に向かって登ればいいだけです。
かすかな踏み後と、木々の間をかいくぐりながら、登っていく。

飛び出した城址。本丸、二の丸 三の丸 なかなか広くて結構規模の大きなお城だったのかしら?
大手門の石垣を見なかった、馬場跡らしいものは分かったが、見落としているところが多く、残念でした。
もっと勉強と下調べをしないと、せっかくの山城探訪も、山登りで終ってしまうと 今更ながら反省でした。
友人と富田松山城址に登って見たいね~と 話していたのですが
やっと念願叶いました。
二号線を走り、備前片上駅近くになると、右手側にお椀を伏せたような
形の良い丸い山が見えます。
駅からおおよそ目星をつけておいた、グランド方向に向かいますが
ネットが見えず、グランドってどこよ~
グランドはあったがネットは無かった。
ご近所の方らしい、年配の男性にお聞きしたら、この先に車を停めて
指示方向に入って、右の鉄塔方向に登っていくとよい
そう教えられました。尾根筋ですね
教えていただいた方向に登っていくと、眺め良し。
下山してくる女性に話しかけると、一人でどこへでも行く 山ガール?でした。
毎日登っているそうです^^ 田舎も同じで びっくり~
私に見覚えがあるって!?
あら そうですか??
そのあと 掘り切り、搦手を過ぎ 本丸へと続く
搦め手とは 裏門らしい。とても狭い通路だった
ウキペディアによると
有事の際には、領主などはここから城外や外郭へ逃げられるようになっていた。
建物自体は、小型で狭く目立たない仕様であることも少なくなく、櫓門ではなく小型の冠木門を建てるのみということもあったというが、きわめて厳重で大手門などの大きな虎口に比べて少人数で警備できるように設計してあった。橋は、木橋であることが多い。
と書かれている。
富田松山城はおよそ30分ほどで登れ、眺め良し
整備も良くされて、案内もしっかりしており、何より地元の方に愛されている城址でした。
お会いした方 みなさんとても親切。
下山は谷筋を歩く。
お弁当持って みんなでハイキングもいいですよ。
前泊して竹田城跡から ご来光 雲海を楽しみました。
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秋祭り。これは台の上に乗っているけれど、担いでいる神輿も多く 男衆は苦しそう。
いい時に行ったと思うのですが、何と言うか もっと観客がいてもいいのでは?
青春18きっぷを消化するため 元気を出して九州へぶらり旅です。
小倉で宿泊し、太宰府へ。
太宰府は歴史的にも重要な役割を果たしている土地なのですが
行くまで ピンとこなかった。
まずは国立博物館で最新の設備による歴史探訪。
大型の状態のいい埴輪には驚きです。
すぐそばの大野城跡地に、レンタサイクルで押しながら登った・・・。
急な坂 しんどくて汗が出ましたね。。およそ1時間。
山をやって無かったら、こんなことやらないよね

上の写真が大野城跡、朝鮮式の山城で、山頂一帯が史跡になっている。
時間がないので 近くの礎石群を見ただけ
下山は自転車をこがなくても 10分と言うハイスピードで到着。
寒さで涙は流れるし、手はかじかむし。。
こちらは熊本城。銀杏の大木があるため別名 銀杏城とも言う。
熊本ではぜひ食したかった、馬刺しを堪能、
ホテル代金と同じくらい、夕食にお金を費やした。
九州は桜が満開、丁度週末だったので、お城も花見の人でいっぱいです。
みなさん お酒も入って賑やかでしたね。
いよいよ島原に到着。
島原はキリシタンの多かった所でもあり、また弾圧のひどかったところ、そして天草四郎の島原の乱があったところ。天守閣、閉館間近かで人もいない。。
それぞれの歴史にまつわる、貴重な資料を興味深く見ているうち、すっかり日が暮れてしまった。
お城のすぐ近くでいただいた「具雑煮」は美味だったなぁ。
何でも、天草四郎が戦いの際、農民たちが山の幸など持ち寄った食材を煮込んで力を付けた!?だったかな?
この島原、史料館で見たのですが、踏み絵をしても拷問をしてもキリシタンは信仰を捨てなかった。
そこで棄教のために、雲仙地獄へロープを付け逆さづりにして、投げ入れる拷問をしたそうです。
温泉の熱湯をかけたり、まさに地獄のような光景がそこにはあったのですが、信仰の力は強く、それでも平然と神をたたえていた・・・誰だったか失念したのですが、いや人間とは残酷にもなれるし、信仰があれば強くもなれるし
自分は軟弱なので すぐに棄教してしまいます。きっぱり!
どこの土地へ行っても歴史あり、お国言葉に出会えるのも楽しみの一つです。
可笑しかったのは諫早から湯江行きの電車、調べもせずに何とかなるだろうと飛び乗ったはいいのだが、湯江に着くころ乗り換えの案内がない。
降りて確認すると、まだ9時半なのに14時まで鳥栖行きがない~~~
仕方ないから、来た電車で再び諫早まで帰り、特急かもめ14号に乗車した。
博多から佐賀とか熊本は便利がいいのですが 長崎方面は特急に乗らざるを得ないようになっているみたいです。
福岡城跡は桜が満開だ。桜の下ではお花見の宴が催されています
普賢岳に登るために合羽、登山靴、ウェアも準備して行ったのに、疲れて予定変更。
またいつか、九州の山にも登りたいね。
もう十分とばかり 新幹線利用で家路につきました。
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